東京五輪音楽担当辞任
7/14の担当者発表から今日にいたるまでこの問題について大騒動である。
20年以上前の出来事とは言え、渦中の小山田氏が行ったことはとうてい許されるものではないことは同類の人を除けば誰しもが感じるところでしょう。今も昔もいじめはなくならないし、それが自殺や殺人にまで発展するケースが後を絶たない。だからこそ大人になって武勇伝のように公の雑誌に語るのは常識では考えられないですが実際にそれがなされたことでやりきれない思いがします。
彼や組織委員会への批判は当然としても、ここではあまり取り上げられないことに視点を当ててみたいと思います。
普通こんな国際的なイベントで開会式の音楽担当というのは相当な準備期間が必要な大役ですから実績と知名度がなければ依頼もないだろうし引き受けることもないと思うのですが、発表が7/14というのも解せないし何故小山田氏なのかもよくわからないですね。
1990年代にフリッパーズギターというユニットで活躍していたらしいですが、私も名前くらいは知ってる程度で他に大きな実績があったわけでも現在新進気鋭の若手作曲家というわけでもない彼に依頼という大きな理由が知りたいですね。
開会式の音楽で彼の担当は4分だけで世間的には無名に近い集団の合作のようですが、メインの入場行進はどうなっているんでしょうか?
1964年の時には古関裕而という実績のある作曲家が見事にその役をこなされました。今聴いてもあせることはないほど完成された作品だったように思います。
もちろん今回の開会式では今までの常識にとらわれる必要はどこにもないわけですから斬新な発想で楽しませてくれればそれでいいわけですが、
元々コロナ禍で純粋に楽しめる前提がすでに壊れている上にこれだけ不祥事が続けばさすがに何も期待できないのが正直なところでしょう。
個人的には宮川彬良、服部隆之、ボブ佐久間、辻伸之、坂本龍一、小澤征爾といった実績もあり、発想豊かな音楽家が担当すると面白かったかなとは思いますね。
とにもかくにもコロナ感染が急拡大する中でのオリンピック開催。一般国民は勿論のこと、アスリートが感染して死亡するようなことがあればもうとりかえしのつかないことになりますのでそれだけはないように祈るしかありません。
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