マークSATOの面白音楽講座1

歌声広場

エピソード編1

私が音楽の世界に入ってン十年。その間に出会ったこと、役に立ったことやくだらないことなど雑多なことを書いてみようかと思います。

約75年前に戦争が終わってから日本に怒涛のようにアメリカからジャズが入ってきて、日本の音楽環境はガラッと変わりました。ラジオから昨日まで国威掲揚の軍歌しか流れなかったものが一気に変わるわけですから、まさにコペルニクス的転換だったと思われます。
しかし、実際は明治期の“鹿鳴館”に象徴される上流階層の人々にはすでに西洋音楽はなじみ深いものであり、戦前でも末期以外は各地のダンスホールでジャズをはじめタンゴなどがダンス音楽として奏でられ、大いに賑わいを見せていたそうです。

大阪で昭和プロダクションという音楽プロダクションを創設された遠山新治さんの著書「縁の下のバイオリン弾き」によると尼崎のダンスホールでは毎晩にぎやかで、忙しくて演奏する人を確保するのが大変だったというようなことが書かれています。
ジャズが敵性音楽だといわれて禁止されたのは戦況が不利になってからの1~2年のことのようです。
もっとも、戦争という極限状況の中でも地下室で麻雀卓を囲んでいた人もいたといいますから庶民には想像もできない世界ですね。

それはともかく、戦後間もなくから1960年代前半までの約20年間くらいは人々の娯楽が少なかったせいもあり、ジャズが日本で一番活躍した時代といえます。
4~5人の小編成から18~20人のビッグバンドまでジャズメンといわれる職業の人が大量に生まれています。
なにせ需要がいっぱいあるわけですから、少々下手でも全くできなくて座ってるだけでも報酬が沢山もらえたという幸せな時代が確かにあったようです。しかも当時の大卒の初任給の数倍ももらえたとあればだれでもなりたがりますよね。時はまさに高度経済成長期真っ只中だったということです。
当時は私は何も気が付きませんでしたがね。

かくゆう私がその世界に入ったのは1970年代に入ってからでしたが、その良き時代のおこぼれがまだ各地に残ってましたのでぎりぎりで少しいい目をさせてもらったというわけです。

私はピアノ担当でしたが、もちろんほとんど弾けず、楽譜もまともに読めず、コードも知らず、ジャズのジャの字もわからない状態でしたので、何故その当時務まっていたのかいまだに不思議で仕方ありません。
最初はアドリブをする際にバンドマスターから「ドラムがバシャーンとシンバルを鳴らしたら演奏を止めろ!」などといわれてその通りに毎回やってました。多分無茶弾きだったと思いますが、何度か繰り返しているうちにそのうち8小節とか16小節といった小節の節目の感覚が分かるようになってきたんです。
その区切りのタイミングでベースがどんな音を弾いているかも聴こえるようになりました。

えらいもんですね! 習うより慣れろとはよく言ったもので、わかってくると面白くなってさらに知りたくなるようになり、中学の時習った楽典を引っ張り出してきてみると、学校ではさっぱりわからなかったことが本を見ただけでわかってしまうという正に驚天動地の出来事が起こってしまいました。
メジャーとマイナーの違い、コードの転回でドミソとミソドとソドミは同じ響きがすること、ディミニッシュコードは3種類しかないことなど自分の中で新発見の連続でした。

やれ変ホ短調だの嬰へ長調だのといわれてもいまだによくわかりませんが、Ebm.F#と表示されると簡単だという事もわかりました。またCという記号はCというkey、Cという音、Cというコードの3つの意味を表すということもわかりました。
“一粒で2度美味しい“グリコよりさらに上を行く“一粒で3度味わえる”ではないですか?

何故なんですかね? これは実践したからではなく本来の学校での教え方が悪いんじゃないかと思ってしまいました。今はどんな教え方をしているのかわかりませんので迂闊なことは言えませんが、少なくとも中学校の段階では完全5度とか、短2度といった音程のことや、ベートーベンンの生涯を教えるよりも、ドレミの歌などを英語の歌で授業したほうが英語の勉強も同時に好きになれるし、もっと効果的だとおもいますがどうでしょうか?
優秀な人はともかく、私のような凡人でも音楽をより楽しく感じれるような授業があったらいいなと単純に思いますね。

そんなわけでいきなりプロの世界に入った私が最初に戸惑ったのは会話です。
「おい!ルービーでも行こうか」「おお、今からばーそー行くで!」といわれたときにはなんて答えていいのかさっぱりわかりませんでした。後に大橋巨泉さんやタモリさんがテレビで流行らせましたいわゆる逆さ言葉ですね。ルービーはビール、ばーそーは蕎麦のこと。
最初は戸惑いましたが3ヶ月もすると慣れてきて、電車の向かいの席に座ってる女性のことを友人にひそひそ声で「えーまーのちゃんねーな、しょうけがいーこやなぁ」などと自分から話せるようになりました。
理解できる方はすでに立派なジャズメンです(笑)

この逆さ言葉にも暗黙のルールがあって4文字や5文字の言葉は基本的にはしません。
ただ母音の入っている4文字などは例外です。「ねえちゃん」「かあちゃん」などは「ちゃんねー」「ちゃんかー」といえるわけです。ちなみに「ちゃんかー」は母親のことではなく奥さんのことを指します。

また、地名などの固有名詞は原則として逆にはしません。金沢のことを「ざわかな」とか「わざなか」などと云うことはありません。
例外はおおさかで、「さかおー」といいます。これも3文字感覚なんでしょうね。
ちなみに東京は「どーえ(江戸)」といいます。

一文字の場合、伸ばした音から逆にします、例えば「血」は「いーち」「酢」は「うーす」といった具合です。
どうですか? 理解できましたか?
もっとも、理解できなくても何の支障もありませんがね・・・

今はジャズメンの絶対数が減少していますし、テレビで遊び心のある音楽番組がないこともあって、こんな言葉を使ってる人は多分皆無と思われますが、久しぶりに当時の旧友に逢うと自然と出てくるのが面白いです。

ということで今回はここまでにします。
(次回は9月14日公開予定)

 

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